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奈良時代早期の創立と考えられる由緒ある神社である。
奈良時代の延喜式内社にその名が出現する。
足利尊氏も九州に都落ちした際、この神社で武運長久祈願を行ったとか。
当社は日清・日露戦争の際、当社に武運長久を祈願した人が全員無事に帰還したことが報道され、
「弾除けの神」として有名になりました。
第二次世界大戦がはじまると、武運長久祈願のための参拝者が増え、一日800人以上もあったそうです。
終戦と同時に参拝者名簿は焼却され、奉納写真の大部分は送り返されましたが、
1万点余りがまだいまだに当社に保管されています。
現在は地域の守り神様として信仰を厚め、秋季大祭が賑やかに行われています。
社叢へと続く池(本殿の左側)では毎年モリアオガエルの産卵が見られます。