山口観光コンベンション協会徳地支部は徳地に多く残る「重源上人にまつわる遺跡」を
多くの人に認識していただこうと標識を立てる活動をしています。
「橘奈良定の墓所」もその一つです。
貴重な遺跡であるにも関わらず、普段人目に触れないことで、地元でも知らない人が多くなっています。
このたび、標識を立てるにあたって、許可をいただくために連絡を取らせていただくと、
会っていただけることになりました。
「橘奈良定の墓所」は末裔によって連綿とお守りいただいています。
末裔の奈良定忠司さん。
天明(江戸中期 1700年代)のころの文書にも奈良定忠左衛門という名前が残っています。
今日は状態の確認です。
作業をお手伝いするメンバーがお迎えしました。
頑張るぞう
お家に伝わる話もいろいろ聞けました。
そのうちの一つ
最後に記載されている元文6年とは1741年。将軍吉宗の頃です。
公慶上人とは
重源上人によって再建された東大寺が
さらに1567年兵火によって失われた後、江戸中期に再建に尽くした僧です。
1692年に大仏の修理はできたものの、大仏殿の再建は彼の生前にはかないませんでした。
大仏殿は1709年に大仏殿は再建なっていますので、
長命だった奈良定道乗さんは見届けることができましたね。