徳地勘場跡

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藩制時代、徳地宰判の勘場が置かれた。

勘場屋敷3反と地域の人が呼んでいたといわれ、相当広い時期もあったようです。

幕末時の代官として服部半七郎、山田宇右衛門、玉木文之進(吉田松陰の叔父)ら、改革(正義)派らが務めており、

彼らの善政が徳地の住民の改革派ひいきの気分に影響したと思われる。

内訌戦(太田絵堂の戦い)の最中に当時の俗論派の代官 桂与一右衛門がいる勘場を

200名もの諸隊兵が襲ったという記録も残る。

勘場に接する小道は新山代街道(当時 五尺幅)の名残である。