アクセス
明治維新前夜、徳地に奇兵隊が駐屯した際、狙撃隊が配置された。
萩藩においては俗論派が支配的であり、幕府に恭順を示すため高杉晋作も捕縛をおそれていたような時機であった。
奇兵隊も徳地のような山間に駐屯することで辛うじて解散を免れた。
奇兵隊の山縣有朋は先の下関戦争で軍備、作戦の近代化が必要なことを痛感し、この地で新しい思想をもって、新しい戦術の訓練を行った。