重要文化財月輪寺薬師堂 解説

徳地町大字上村字蔵場(現在:山口市徳地上村蔵場)

建造物 月輪寺薬師堂

昭和25年(1950年)8月29日国指定 重要文化財

寺伝によれば、願成山月輪寺薬師堂は、もと佐波郡清涼寺村にあって、清涼山薬師堂と称し、推古17年(607年)聖徳太子の創立と伝えられる。

月輪寺薬師堂は、明和3年(1766年)の薬師堂造営上梁記・宝暦9年(1799年)の上村薬師縁記等によると、「平家によって焼かれた奈良東大寺の再建のため、文治2年(1186年)東大寺造営料国に充てられた周防国に大勧進俊常坊重源が下向し、自ずから佐波川上流の杣山(そまやま)に入り、資材を求めた際(文治5年)藤原兼実の助力を得て、旧建物を移し再興したとあり、月輪寺の寺名も兼実が「月輪関白」と呼ばれていた事に由来するとある。

また、昭和32年(1958年)の薬師堂修理工事報告書に「構造様式、手法等、あるいは用材の材質などにより、文治年間再興の建物と考えられ、創建の時、正面三間側面二間の堂宇であったものを、文治年間再興の折に五間、四間の堂に改められたと推定される」とある。

現在の薬師堂は、桁行五間(16.5m)、梁間四間(13.2m)、単層、寄棟造、茅葺の屋根、西面、礎石自然石、内・外陣に分かれている。

内陣部は、三間(9.9m)、二間(6.6m)、総円柱を立て、三間通しの須弥壇が造りつけられ、古材をもって造られているが、鎌倉時代再建時の材も相当に残存し、カンナのなかった時代の建物だけに、素材はオノの荒削りで素朴簡素で堂々とした構造である。

内、外陣ともすべて無駄な装飾、色彩はないが、非常に均整のとれた安定感を持って、平安末期、鎌倉期の気風をよく表し、県下最古の木造建造物といわれている。

堂内には、平安末期の作とされる木造聖観音菩薩立像をはじめ四天王、その他多数の仏像が安置されている。

本尊の薬師如来は20年に一度開帳され、これを秘蔵する厨子(重文指定)は唐様で背面板壁に文明13年(1481年)の墨書があり、大きさは桁行120cm、梁間68cmで入母屋造り板葺である。室町時代の特徴をよく表しており、よく完備している。

また、国の重文指定を受けている棟札は「上棟宝永七庚寅穀旦(宝永7かのえとら)」と「時明和丙戌三月十九日」の記のある二枚である。

彫刻 木造聖観音菩薩立像

昭和41年(1966年)6月6日県指定

彫刻 木造四天王立像

昭和44年(1969年)4月25日県指定

月輪寺の経筒

月輪寺の鰐口

本解説は河野正 編著 「徳地の史跡と文化財」からの転載