月輪寺

藤井和子

かん・かーん と槌の音が寺のほうから聞こえてくる。

文治5年(1189年)俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)上人が創建し、承元2年(1208年)に、藤原兼実公の月輪殿の呼び名にちなんで月輪寺と号したという。

そのころ東大寺の用材を切り出すため、下向の上人は聖徳太子が推古17年(609年)に建立された鹿野清涼寺の堂宇と太子御親作の薬師如来を訪われたが、あまりの御開創の霊跡の荒廃ぶりに、藤原公(九条家の祖)の協力で当月輪寺に薬師堂を再建されたと伝えられる。

薬師堂厨子、棟札2枚(重要文化財)、聖観音菩薩立像、四天王立像(県文化財)その他仏像、鰐口など大切に保存されている。

片や月輪寺の方は開山以来無住の時代があったり、火事になったりで、ようやく再建立が進み、来春は完成の槌音が力強くひびいてくる。

今回、山口市合併にあたり、町制50年のあゆみの小冊子を手にして、平成2年に皇太子殿下が中世史ご研究のため薬師堂へ行啓された折のスナップ写真を思い出した。

写真には優しくお手を振られる殿下の後方に姑の姿が写っている。嬉しかった。そして、いつ逝っても思い残すことはないと手を合わせていた姑の笑顔を思い出すのだ。

2年後、姑は旅立ってしまった。

柔らかな殿下のお顔と薬師堂の石段を真すぐに登られるお姿が思い出される。様々な思いが槌音とともに甦る。

新しい寺になるよと、姑に語りかけている私である。

海市 No.61(2006/1)掲載 を御本人承認を得て転載